文化・ホスピタリティ【月島 栞編】 資格

月影庵の事件簿 File.3:黒留袖は知っている。きものコンサルタントの「資格」が暴く富裕層の“毒”

きもの

【登場人物】

  • 月島 栞(つきしま しおり):
    主人公。『月影庵』の若き女将。通称「ザ・ガーディアン」。
  • 桐谷 宗佑(きりたに そうすけ):
    栞に仕える忠実な番頭。
  • 藤乃(ふじの):
    栞の宿敵である、伝説の女詐欺師。完璧な変装で、栞に挑戦状を叩きつける。
  • 有栖川 剛三(ありすがわ ごうぞう):
    今回のターゲット。京の織物産業を牛耳る、強欲で悪名高い老人。
  • 有栖川家 顧問弁護士:
    今回の依頼人。

秋も深まり、嵐山の紅葉が錦のように色づく頃。
『月影庵』に、一人の老紳士が、内密に訪れた。
彼は、京の名門・有栖川家の顧問弁護士だった。長年、当主である有栖川剛三の非道なやり方に心を痛めてきたという。

「…栞様、どうか、お力をお貸しください。我が主、剛三様が、近々ご祝言を挙げられるのですが、そのお相手が、どうにも…」

婚約者の名は、『小津(おづ) 清華(きよか)』。由緒正しい公家の末裔を名乗る、非の打ち所のない令嬢だという。
「しかし、彼女はあまりにも完璧すぎる。もし彼女が本物のご令嬢なら、剛三様の新たな犠牲者となる。もし、悪女ならば、有栖川家は破滅するやもしれぬ。…どちらに転んでも、悲劇です」

この祝言の裏に隠された、富裕層の醜い欲望と、一人の女の壮大な「芝居」。その真相を暴くのが、私の三つ目の資格、**「きものコンサルタント」**の役目だった。

その身に纏うは、千年の歴史と日本の心。

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第1章:富裕層の祝言と、きものコンサルタントへの内密な依頼

顧問弁護士が、重い口を開いた。
「…彼女の名は、小津 清華。由緒正しい公家の末裔と名乗り、その教養、その作法、どれをとっても、完璧としか言いようがございません。しかし…」
彼の言葉には、賞賛とは程遠い、深い困惑の色が滲んでいた。

彼が帰った後、私は桐谷に調査を命じた。
数時間後、私の前に戻ってきた桐谷の表情は、珍しく、険しいものだった。

「お嬢様。…小津清華の経歴、調べてまいりました」
彼が差し出した報告書には、非の打ち所のない、輝かしい経歴が並んでいた。名門女子大を首席で卒業し、スイスのフィニッシングスクールに留学。帰国後は、茶道・華道の師範免許を取得し、チャリティー活動に身を捧げる日々。

「戸籍、学歴、海外留学の記録…全てが揃っております。裏も取りました。一点の曇りもございません。…しかし」
桐谷は、悔しそうに続けた。
「その全てが、まるで、誰かが作り上げた物語の登場人物のように、完璧すぎるのです。人間らしい『失敗』や『回り道』といった、生身の人間が持つはずの『揺らぎ』が、どこにも見当たらない。あまりにも、美しすぎる経歴です」

その報告を聞きながら、私の胸には、冷たい予感が渦巻いていた。
完璧すぎるものほど、その裏には深い闇が隠されている。それは、私がこの『月影庵』で、数多の富裕層たちを見てきた経験から得た、一つの真理だった。

「桐谷、有栖川様と、小津様を、『月影庵』にご招待して」
私は、窓の外に広がる、静かな竹林を見つめながら言った。
「…祝言のお衣装選びの、お手伝いをさせていただきたい、と」

「…よろしいのですか?下手に首を突っ込めば、有栖川剛三という男を敵に回すことにもなりかねません」
桐谷が、案じるように言う。

「ええ。でも、これは、私にしかできない仕事よ」
私は、静かに立ち上がった。
「経歴書は、完璧に作れるかもしれない。でも、一枚の着物を纏った時の、その人の『魂の形』までは、偽ることはできないわ」

私は、あえてその挑戦状に乗ることにした。
この完璧な令嬢が被る、見えない仮面を、剥がすために。
私の戦場は、法廷でも、会議室でもない。
絹の衣擦れの音だけが響く、静かなる呉服屋の奥座敷なのだ。

第2章:富裕層を前に「きものコンサルタント」の資格が試される時

数日後、私は馴染みの老舗呉服屋『みやび』の、最も格式の高い奥座敷で、二人を待っていた。
やがて、店の主人が、深々と頭を下げて二人を案内してくる。
現れたのは、有栖川剛三と、その隣に、まるで白百合のように寄り添う、小津清華だった。

息を、呑んだ。
彼女は、美しく、そしてどこまでも儚げだった。絹のような黒髪、伏し目がちの憂いを帯びた瞳、そして、か細い声。桐谷の報告にあった通り、その経歴に違わぬ、完璧な令嬢そのものだった。
(…これが、あの人喰い鬼を骨抜きにしたという女性…)
私の心にあったのは、ただ、プロフェッショナルとしての純粋な好奇心と、これから始まる仕事への静かな覚悟だけだった。

「小津清華と申します。この度は、お骨折りいただき、誠にありがとうございます」
その所作一つ一つが、何代にもわたって受け継がれてきたかのような、揺るぎない品格を湛えていた。

私たちは、祝言で着る花嫁衣装を選ぶため、桐の箪笥が並ぶ座敷へと移った。
きものコンサルタントの資格を持つ者は、TPOや格はもちろん、着物が持つ文様の意味、染めや織りの技法、そして着る人の個性との調和までを計算し、最高のコーディネートを提案する。それは、単なるスタイリストではない。その人の人生の、最も輝かしい舞台を演出する、総合プロデューサーなのだ。

店の主人が、最高級の打掛を、次々と広げていく。
友禅、唐織、相良刺繍…。日本の美の粋を集めたそれらの前で、清華は、一枚の純白の白無垢に、吸い寄せられるように歩み寄った。
そして、その鶴の刺繍に、そっと指で触れた。

「…わたくしのような者が、このような素晴らしいお衣装を、本当に…身に纏う資格があるのでしょうか」
その瞳は潤み、声は喜びと不安に震えている。
その純真無垢な姿に、剛三は、完全に心を奪われていた。
「何を言うか、清華。君こそ、この純白にふさわしい、唯一の女だ」

その光景は、まるで年の離れた恋人たちの、微笑ましい一幕。
だが、私の心の片隅では、桐谷の報告にあった**「完璧すぎる経歴」**という言葉が、小さな棘のように、引っかかり続けていた。
この完璧さは、本物なのだろうか。それとも…。
私の「眼」が、試される時が来た。

第3章:富裕層を欺く藤乃と、きものコンサルタントの「資格」だけが知る“呼吸”

白無垢を前にした、小津清華の純真無垢な姿。
そのあまりの完璧さに、私は、自分が抱いていた微かな疑念を、一度、心の隅へと押しやった。
まずは、きものコンサルタントとして、彼女に最高のコーディネートを提案することに集中しよう。

「白無垢も、もちろん素晴らしいものでございます。ですが、お色直しには、どのようなものをお考えですかな?」
私が問うと、彼女は、少し考え込むように、細い指を顎に当てた。

「…そう、ですわね。わたくし、あまり華美なものは好みませんの。有栖川の家に嫁ぐ者として、品格を損なわず、それでいて、主張しすぎない…そんな、奥ゆかしいものがよろしいかと」

完璧な答え。私がもし、彼女の師であったなら、百点満点を与えただろう。
彼女は、店の主人が広げたいくつかの色打掛の中から、淡いクリーム色地に、松竹梅の刺繍が施された、非常に上品な一枚を選び出した。

「こちらなど、いかがでしょう。派手さはありませんが、松竹梅は厳寒にも耐えることから、『誠実』や『貞節』を表すと聞き及んでおります」

その時だった。
彼女が、その色打掛の袖を、そっと手に取って広げた。
その、ほんの僅かな、手首の返し方。袖を扱うその所作は、まるで、長年、夜の世界で、客の酒をつくるために着物を着慣れた女のそれのように、あまりにも**「手慣れ」すぎていた。
旧家の令嬢が、深窓の令嬢が、身につけることのない種類の、
「実用的な洗練」**。
私の心に、再び、小さな棘が刺さった。

違和感は、まだ続く。
店の主人が、休憩のためにと、玉露を運んできた。
清華は、有栖川剛三にお茶を勧め、そして自らも、湯呑みを手に取った。
彼女が、湯呑みを一口飲もうと、袖をそっと押さえた。

その、ほんの僅かな、袖口を押さえる小指の角度。

それは、数ヶ月前、西園寺公爵との茶会で、あの藤乃が見せた、計算され尽くした、しかし彼女の身体にだけ染み付いてしまった、独特の「癖」。
客の視線から、最も美しく、そして艶っぽく見える、小指の立て方。

(…見つけたわ、女狐の尻尾)

私の全身に、電流のような緊張が走った。
そうだ。顔が違う。声が違う。雰囲気も、まるで別人だ。
しかし、長年の訓練によって、無意識のレベルで身体に刻み込まれた**「所作の癖」**は、どんな完璧な変装でも、隠し切ることはできない。

きものコンサルタントの真髄は、知識ではない。相手の呼吸、視線の動き、指先の僅かな震え…そういった、**言葉にならない身体の「声」**を読み解く、究極の観察眼にある。

目の前にいる女は、小津清華ではない。
あの女狐が、さらに完璧な仮面を被り、再び私の前に現れたのだ。
私の背筋が、武者震いにも似た、静かな興奮で、ぞくりと粟立った。

面白い。
面白いじゃない、藤乃。
あなたの、その完璧な芝居、私が、この手で、引き裂いてあげる。

第4章:富裕層が見守る対決。「きものコンサルタント」の資格が示す真価

(…見つけたわ、女狐の尻尾)

私の内で燃え上がった静かな興奮を、私は完璧な女将の微笑みの下に隠した。
そして、何事もなかったかのように、ゆっくりと立ち上がると、桐の箪笥の前へと進んだ。
有栖川剛三は、まだ清華の純真な演技に、目を細めている。

私は、数ある豪華な着物の中から、一枚だけ、漆黒の闇のように静かな黒留袖を取り出した。
そこには、刺繍も金箔もなく、ただ、数羽の燕が、伸びやかな筆致で描かれているだけだった。

「小津様。あなた様のような、奥ゆかしい方には、こちらの黒留袖も、よくお似合いかと存じます」
私は、その着物を、彼女の前に、そっと広げてみせた。

彼女は、純真な令嬢の仮面を崩さぬまま、不思議そうに首を傾げた。
「まあ、素敵ですわね。ですが、栞様。花嫁が、祝言の席で黒をお召しになるのは、あまり縁起の良いことでは…」
その言葉は、完璧な知識に基づいていた。彼女の勉強の跡が、うかがえる。

「ええ、おっしゃる通りですわ」
私は、穏やかに、しかし、一言一句に、針を潜ませるように、言葉を続けた。
「ですが、この燕は、夫婦円満の象徴。そして何より…」

私は、彼女の目を、まっすぐに見つめた。
その、純真を装う瞳の奥にいる、本当の彼女に向かって。

「燕は、一度巣を作った場所を変えません。…あなた様も、有栖川様という、『終の棲家』を見つけられたご様子。ならば、これ以上ふさわしい柄は、ございませんでしょう? それとも…まだ、どこか別の空へ、お飛びになるご予定でも?」

私の言葉の裏にある「あなたの正体は、お見通しよ」という、鋭い刃。
それに気づいた彼女の瞳の奥で、ほんの一瞬、小津清華という令嬢の仮面が剥がれ落ち、あの、西園寺公爵の前で見せた、藤乃の、冷たく、そして挑戦的な光が宿ったのを、私は、確かに見逃さなかった。

だが、それも、ほんの一瞬。
彼女は、すぐにまた、完璧な令嬢の顔に戻ると、ふわりと微笑んだ。
「まあ、栞様ったら、意地悪ですこと。わたくしの巣は、もう、ここでございますわ」

完璧な切り返し。
だが、私は確信した。
この女は、黒だ。そして、彼女もまた、私が「気づいた」ことに、気づいたはずだ。

富裕層である有栖川剛三が見守る、呉服屋の静かな奥座敷。
そこで、二人の女の、静かで、しかし何よりも激しい、最初の戦いの火蓋は、切って落とされたのだ。
そして、その勝敗を決めるのは、一枚の着物に込められた、それぞれの「心」だった。


その身に纏うは、千年の歴史と日本の心。

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第5章:黒留袖に潜む“毒”。「きものコンサルタント」の「資格」が暴いた富裕層への復讐劇

呉服屋から戻った夜、私は顧問弁護士に、静かに電話を入れた。
「…彼女は、黒ですわ。それも、底なしの。ですが、彼女の狙いは、有栖川家の財産ではないかもしれません」

電話を切った後、私は一人、月明かりが差し込む書院で、桐谷の報告書を、もう一度、ゆっくりと読み返していた。
あの女狐、藤乃。
彼女ほどの詐欺師が、なぜ、これほどまでに危険な橋を渡ってまで、有栖川剛三という、一人の老人を狙うのか。金だけが目的なら、もっと簡単で、安全な獲物はいくらでもいるはずだ。
その疑問が、私の頭から離れなかった。

「お嬢様」
桐谷が、新しい調査報告を手に、部屋に入ってきた。
「…見つかりました。藤乃と、有栖川剛三を繋ぐ、一本の糸が」

桐谷の再調査で、数年前に剛三の非道なやり方で特許を奪われ、破産に追い込まれた、一人の老いた西陣織の職人の存在が浮かび上がった。
その職人の名は、松庵(しょうあん)。かつては人間国宝にもっとも近いと言われた、伝説の職人だった。
桐谷の報告書には、こう記されていた。

『松庵氏は、藤乃がまだ何者でもなかった頃、銀座の片隅で出会った、唯一の恩人であった可能性。彼は、当時まだ鈴木花子と名乗っていた彼女に、下心など一切なく、ただ『君の、その寂しげな立ち姿は、わしが織る着物が、一番似合うだろう』と言って、自らが織った古い着物を贈った。そして、その着こなしから、所作の一つ一つまでを、まるで娘に教えるように、手ずから教えた。それは、彼女が、生まれて初めて受け取った、無償の優しさだった』

藤乃が、どんなに汚れた偽りの世界にいても、唯一、心の奥底で、大切に守り続けていた、ささやかな、しかし本当の宝物。
有栖川剛三は、彼女から、その宝物を、その恩人を、無慈悲に奪ったのだ。

私は、全てを理解した。

…彼女の目的は、金ではない。
恩人のための、「復讐」なのだ。

桐谷が、息を呑んで続けた。
「お嬢様…ただの復讐では、ありません。藤乃は、祝言の席で、有栖川剛三を…殺すつもりのようです」

彼の報告書には、信じがたい計画が記されていた。
祝言の儀式、「三三九度」。その盃に、特殊な遅効性の毒を仕込む。そして、彼女が纏う色打掛。その裏地には、祝宴の熱で初めて香り立つ、特殊な香(こう)が焚きしめられているという。
その香は、単体では無害。しかし、先ほどの毒と体内で結びつくことで、即座に心臓を麻痺させる、致死性の猛毒へと変貌する

祝言という、人生で最も輝かしい舞台で、衆人環視の中、誰にも気づかれずにターゲットを殺害する。
それは、「きもの」と「香」という、日本の美意識そのものを凶器とした、最も静かで、最も残酷な、完全犯罪。

彼女は、剛三を殺害した後、自らも罪を被り、破滅する覚悟なのだ。
彼女が被っていたのは、偽りの花嫁の仮面などではない。
それは、恩人の無念を晴らすため、自らの命さえも燃やし尽くそうとする、復讐の女神の、美しい能面だったのだ。

第6章:富裕層の罪と、きものコンサルタントの「資格」を持つ女将の覚悟

藤乃の、あまりにも悲しい復讐の筋書き。
その全てを知った時、私の心は、大きく揺れていた。

一方には、私利私欲のために、多くの人間の人生を弄んできた、紛れもない**「悪」である、有栖川剛三。
もう一方には、恩人のために、自らの人生を賭けて復讐を誓った、
「歪んだ正義」**の執行者、藤乃。

このまま、藤乃の計画を見過ごし、彼女の復讐に手を貸すべきなのか?
悪が裁かれるという点においては、それも一つの「正義」なのかもしれない。
しかし、そのために、偽りの祝言という、人の道を外れた手段が許されていいのだろうか。
そして、復讐を遂げた後、彼女の心に、一体何が残るというのだろう。憎しみの連鎖は、新たな悲劇を生むだけではないのか。

私は、女将として、『月影庵』を訪れる全ての客の「心」を守ると誓った。
それは、善人であろうと、悪人であろうと、関係ない。
この門をくぐった以上、有栖川剛三も、そして藤乃も、私が守るべき「客」なのだ。

私は、決意した。
この、あまりにも危険で、悲しい復讐劇。それを、このまま見過ごすことはできない。
かといって、藤乃の邪魔をし、悪党である剛三を、のうのうと生き続けさせることも、私の美学が許さない。

私は、女将として、一人の人間として、決断を迫られていた。
どちらの正義が、正しいのか、と。
いや、違う。
正しい正義など、この世にはないのかもしれない。
あるのはただ、それぞれの人間が、それぞれの人生をかけて背負った、譲れない「覚悟」だけだ。

ならば、私も、私の覚悟を決めなければならない。
藤乃の復讐を、止める。
しかし、有栖川剛三の罪は、別の形で、必ず私が裁く。

それが、この『月影庵』の女将として、私が下した、ただ一つの答えだった。
たとえ、その先に、藤乃との全面対決が待っていようとも。
私は、もう、迷わない。

桐谷を呼び、私は静かに、しかし、有無を言わせぬ響きを声に込めて、指示を出した。
「…祝言の当日、段取りがあるわ。聞いてくれる?」
私の戦いは、いつも静か。
しかし、その水面下では、誰にも見えない、激しい流れが、すでに渦巻き始めていた。

第7章:富裕層への復讐と、きものコンサルタントの「資格」が渡す最後の切り札

祝言の当日。
私は、支度を終えた藤乃の控室を、一人で訪れた。
彼女は、息を呑むほど美しかった。

「…全て、お見通しでしたのね、栞様」
彼女は、静かに微笑んだ。
「邪魔を、なさるおつもり?」

「邪魔、ではないわ」
私は、彼女の隣に静かに立つと、懐から取り出した、小さな桐の箱を、彼女の前に置いた。
「ただ、あなたに、これを渡したかっただけ」

箱の中に入っていたのは、古びた、一枚の小さな布の切れ端だった。
それは、彼女の恩人である織物職人・松庵が、最後に織ったという、あの、黒留袖と同じ、燕柄の生地だった。

「…!」
藤乃の瞳が、初めて大きく揺らいだ。

「桐谷が、松庵様のご遺族から、お譲りいただいたの。『娘のように思っていたあの子に、いつか渡してほしい』と、そうおっしゃっていたそうよ」
私は、静かに続けた。
「あなたの憎しみは、私も分かる。でも、忘れないで。松庵様が、あなたに託したかったのは、人の命を奪うための“毒”ではないはず。彼があなたに教えたかったのは、人の心を温める、一枚の着物の“心”だったはずよ」

私は、その布切れを、そっと彼女の手に握らせた。
「…その着物の懐に、忍ばせておいて。あなたの戦いは、一人ではない、と、忘れないために。そして、復讐の女神から、一人の人間に戻る時が来たら、この布が、あなたの道標になるはずだから

私の予期せぬ行動に、藤乃は、言葉を失っていた。
その瞳から、一筋、また一筋と、涙がこぼれ落ち、完璧な白粉の上に、透明な軌跡を描いていった。
私が彼女に渡したのは、ただの布切れではない。
それは、彼女の**命がけの復讐を止めるための、最後の「切り札」**だったのだ。


その身に纏うは、千年の歴史と日本の心。

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第8章:エピローグ。富裕層を巡る戦いと、「きものコンサルタント」の資格が結んだ宿敵

その祝言が、どうなったのか。
藤乃が、有栖川剛三の長年にわたる悪事を、招待客の目の前で、鮮やかに暴露し尽くしたこと。
そして、混乱の中、彼女が煙のように姿を消したこと。
その全てが、翌日のニュースを大きく賑わせた。

ただ、一つだけ、世間が知らないことがある。
彼女が去り際に、私の元へ、一枚の白紙の便箋を届けてきたこと。
そこには、ただ一言、こう書かれていた。

『次ハ、貴女ノ番カモシレマセンワ』

不敵な挑戦状。
私は、それを手に、静かに微笑んでいた。
どうやら、私の人生は、退屈とは無縁のようだ。
『月影庵』の門に、また新しい風が、吹き始めていた。

【編集後記】月影庵の事件簿、次なる“おもてなし”へ

最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。

この記事は、京都の高級旅館『月影庵』の若き女将・月島栞が、日本の伝統文化の知識を武器に事件を解決していく物語シリーズ**『月影庵の事件簿』**の、第三話をお届けしました。

今回、宿敵・藤乃とのスリリングな着物対決を制した栞ですが、その手にはまだ12もの強力な「おもてなし」の切り札が残されています。
そして、去り際に藤乃が残した、不敵な挑戦状。二人の女の戦いは、まだ始まったばかりです。

また、この『月影庵』の物語と、時を同じくして、東京ではもう一つの戦いが繰り広げられています。
栞の妹、一条怜が、14の「資格」を武器に、富裕層の闇を暴く物語**『14の資格を持つ女』**。
二つの物語は、いつか必ず、一つの運命として交錯します。

二人のヒロインの戦いを、ぜひ両方の視点からお楽しみください。



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